【胸キュン】太古の馬の桃尻btk【きゅん】

1妄想する芦毛 (ワッチョイ 53a9-js6M)2018/06/07(木) 06:40:15.55ID:frmdOqDt0
太古の馬の種付けはどんなものだったのかと思うと胸きゅんきゅんです
稲垣足穂はシマウマのお尻専のようでしたが自分は馬尻全部好きです
筋肉バリバリのはずなのにやわらかいのが素敵すぎる

太古の馬の交尾のBGM というとこんな感じをイメージします
https://www.youtube.com/watch?v=2iZ7id-lxXo

https://www.youtube.com/watch?v=Bj86K1SLMDk
これははじめて聞きました レアかも

馬の交尾はかなりの糞迫力かと思いますが
古代はポニーのような大きさだったろうから
かわいらしかったと想像します

トモというと焼き鳥みたいだ色気が無い

祖母は馬に乗れたらしい
祖母から、自分はおてんばなので乗れたが、祖母の姉は大人しい性格なので乗れなかった
という話を聞いた事がある
田舎だと昭和初期は馬は普通に家畜として家庭にいたらしい

近親交配は、その共通する祖先の能力を大きく引き出せるといわれる反面、濃すぎる血量は虚弱体質や気性難など弊害もあるといわれている。そのギリギリのバランスがこの奇跡の血量18.75%と考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/奇跡の血量

今でこそ考えにくいが、活動領域が限られていた頃には
奇跡の血量を持ったヒトも多かったのでは無いか?

藤原氏は奇跡の血量なども考えていたのかな

200万年前から100万年前:馬orロバの祖先が出現
1万年前:アメリカ大陸で馬絶滅 (ユーラシア大陸ではわずかに残る)・・気候変動・人間による捕獲による
紀元前25世紀:馬に騎乗していた(北アジア)
紀元前5世紀頃:馬を軍事用に使用していた記録(匈奴、ペルシア)
4世紀末から5世紀:日本古墳から馬骨や馬具

近年、「最古の人類」として注目をあびているのが、アフリカ大陸中部で600万年前から700万年前にかけての地層より出土したサヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis)である。
ただし、頭骨のみの出土なので「直立二足歩行」が可能であったかについての確証はいまだ得られていない。

わつふるわっふる

>>12
こんばんわ

ヒラコテリウムは約5200万年前にはすでに北アメリカ大陸で生活していたとされている。体はキツネと同じくらいのサイズ(体高25〜45センチメートル)で、比較的短く弾力性のある頭頸部とアーチ状の背骨を持っていた。


https://www.youtube.com/watch?v=2UMXozZ9AH8
ハーツクライ 種付け映像


https://www.youtube.com/watch?v=-DEXM1JjFSs
勃起するディープインパクト

>>16 の仔馬がかわいそう過ぎる
>>17 のほうが仔馬に優しい

学研全訳古語辞典

もも−じり 【桃尻】
馬に乗るのが下手で、鞍(くら)に尻が落ち着かないこと。▽昔の桃は尻が丸くて座りが悪かったことから。

【胸キュン】奇跡の血量 桃尻btk【きゅん】 [無断転載禁止]©bbspink.com
https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/meow/1529000147/

せめぎあう 光と闇のはざまに
溶けさりながら
涙ではなく
しずかな身ぶるいによって
馬は 哭く
          吉原幸子「風景は」部分

犬の交尾って寡聞にして見たこと無かったのですがyoutubeで見てびっくりでした
あの形態って結構あるのかな?

水掛けても離れないって聞いては居たがあの状態だったんだな

世界の普通じゃない馬8選
https://www.youtube.com/watch?v=MeCiRncbQPE
アハルテケ ジプシーバナー かっこいい

絶滅してよかったと思う、怖い動物18選
https://www.youtube.com/watch?v=I8W6A9yaUX8

シャガールの馬は、赤色のが多いかな

28こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 9f4d-kr7C)2018/06/23(土) 05:48:16.78ID:c9zRDz+T0
どんな人でも競馬で確実に勝てる方法は、「草浜ゴマキの競馬必勝マニュアル」というHPで見られるらしいです。検索すると分かりますよ。

VTDSG

http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=child/14life 古墳時代の暮らし

http://emiyosiki.hatenablog.com/entry/20130715/p3
古代の東北で元蝦夷たちが泣く泣く刻んだ馬の絵

明治以降、特に日清・日露戦争の後に、日本の馬匹改良は、国策としての軍馬増強に主眼が置かれ、馬格の大きい洋種馬との交配による大型化が行われた。
まず明治34年(1901年)の「馬匹去勢法」によって、種牡馬及び将来の種牡馬候補以外の牡馬は全て去勢することが定められ、ついで日露戦争後の内閣馬政局の設置(明治39年(1906年))、さらには昭和14年(1939年)の「種馬統制法」によって、これがさらに強化徹底された。
この大規模な「改良」の結果、多くの地方では短期間の内に純粋な在来馬が消滅するに至った。
しかしそのかたわら、離島や岬の先端など、主として交通が不便な一部地域には、外国産馬(洋種馬)の血がほとんど入らず、かつての姿をよくとどめる馬群が、細々とではあるが残された。
そのような馬群8種を、日本馬事協会が「日本在来馬」として認定し、現在まで保護にあたっている。これらのほかにも農耕馬が使われている地域は存在するが、いずれもある程度洋種馬と混雑しており、純血種に近いものはこの8種のみであると考えられる。
8つの馬種は品種であり、遺伝子的には地域個体群程度の差しかないが、それぞれに特徴があり、体形が異なる。


ある日、アマテラスオオミカミは、神聖な機織場(はたおりば)で、神様のお着物を織らせている時に、スサノオノミコトは、斑(まだら)模様の馬の皮をはいで、その死体を機織場の天上に穴をあけて投げ込んだのです。
それに驚いた機織りの娘は、機織りで横糸を通すための道具板で、女陰をついて死んでしまいました。
これには、さすがのアマテラスオオミカミも恐ろしくなって、天の岩屋戸(とびらが大きな岩で作られた洞窟)の中に隠れてしまわれました。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48741
天才・南方熊楠が見ていたもの〜彼は日本版ダ・ヴィンチか


コダマ:ブランドフォードの18.75%の血量
  皐月賞、東京優駿(1960年)

トウショウボーイ:ハイペリオンの18.75%の血量
  皐月賞、有馬記念(1976年)、宝塚記念(1977年)

マックスビューティ:ナスルーラの18.75%の血量
  桜花賞、優駿牝馬(1987年)

ヴィクトワールピサ:ヘイローの18.75%の血量
  皐月賞、有馬記念(2010年)

ブエナビスタ:ニジンスキーの18.75%の血量
  阪神ジュベナイルフィリーズ(2008年)、桜花賞、優駿牝馬(2009年)

オルフェーヴル:ノーザンテーストの18.75%の血量
  皐月賞、東京優駿、菊花賞、有馬記念(2011年)、宝塚記念(2012年)

ストレイトガール:ヘイローの18.75%の血量
  ヴィクトリアマイル、スプリンターズS(2015年)、ヴィクトリアマイル(2016年)

ロゴタイプ:ヘイローの18.75%の血量
朝日杯FS(2012年)、皐月賞(2013年)、安田記念(2016年)

ワンアンドオンリー:ヘイローの18.75%の血量
  日本ダービー(2014年)


https://ja.wikipedia.org/wiki/アウトブリード

ネプトゥーヌス

ネプトゥーヌス(古典ラテン語:Neptunus)は、ローマ神話における海の神[1]。妻はサラーキア[2]。長母音を省略してネプトゥヌスとも表記される[1]。英語読みのネプチューン(Neptune)でもよく知られる。
元々どのような神であったかはよく分かっていないが、泉や河川、湖沼を司る水の神であったとされる[2]。
後にギリシア神話のポセイドーンと同一視され、馬の神としても崇拝されるようになったため、ローマ神話の馬の神コーンススとも同一視されるようになった。
祭日ネプトゥーナーリア(Neptunalia、ネプトゥナリア)は7月23日であり[3]、ローマ市民は木の枝で屋根を作り飲食をおこなった。
他のローマの神同様、ネプトゥーヌスの神話はほとんどがポセイドーンのものである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ネプトゥーヌス

https://ja.wikipedia.org/wiki/ポセイドーン

ポセイドーン(古希: ΠΟΣΕΙΔΩΝ, Ποσειδ?ν, Poseid?n)は、ギリシア神話の海と地震を司る神である[1]。オリュンポス十二神の一柱で、最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇る。
海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられている。怒り狂うと、強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶる。また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。
イオーニア方言系ではポセイダーオーンとも呼ばれる。エノシガイオスという名もある[1]。日本語では長母音を省略してポセイドンとも呼ぶ[1]。

ポセイドーンの地位と実力は、ゼウス・エナリオス(海のゼウス)と呼ばれるほど高く、その支配力は全物質界に及んだ[2]。ティーターノマキアーの際にキュクロープスから贈られた三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、これによって大海と大陸を自在に支配する。
これを使えば容易く嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができる。
世界そのものを揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと冥王ハーデースが危惧したほどである。
また、山脈を真っ二つに引き裂いて河の通り道を造ったり、山々と大地を深く切り抜いて海中へと投げて島を造ったこともある。
古くはペラスゴイ人に崇拝された大地の神(特に地震を司る)であったと考えられ、異名の1つに「大地を揺らす神」というものがある[2][1]。

また、馬との関わりが深く、競馬の守護神としても崇められた[2]。故にその象徴となる聖獣は馬、牡牛、イルカであり、聖樹は松である。真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、またはヒッポカムポスの牽く戦車に乗る。
ポセイドーンの宮殿は大洋の中にあり、珊瑚と宝石で飾られているとされる。
また、大地の神であった特質からデーメーテールの夫の位置にいることもあり、ピガリアではデーメーテールとの婚姻も伝えられている。
ポセイドーンの名前の意味も、「ポシス=ダー(大地の夫)」からきているとされているが、ジョン・チャドウィックは「ダー d? という語彙はギリシア語には1度しか現れないし『大地』という意味でもない」としてこの説を斥けている。

神話では、クロノスとレアーの子[1]。ハーデースの弟でゼウスの兄[1]。オリュンポス十二神の1柱である。
ネーレーイデスの1人であるアムピトリーテーを妻とし、トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーが彼女との子である[1]。愛人も数多く存在し、その中でとりわけ有名な人物は後述するメドゥーサである[1]。愛人との間の子にはオーリーオーン、ペーガソスなどがいる。

アムピトリーテーは美しい海の女神であるが、大波を引き起こしたり、巨大な怪魚や海獣を数多く飼っているなど、強力な力を秘めていた。ポセイドーンは彼女に求婚するが、アムピトリーテーは彼を嫌い、その追跡の手から逃れるべくオーケアノスの宮殿に隠れてしまった[注 1]。
ポセイドーンはイルカたちにアムピトリーテーを探させた。すると、一頭のイルカが彼女を発見し、説得してポセイドーンの元へと連れて行った。その結果、ポセイドーンはアムピトリーテーと結婚することができ、この功績を讃えられてイルカは宇宙に上げられ、いるか座になった。
また、ナクソス島で踊っている時にポセイドーンに誘拐されたという説や、馬やイルカを創造して彼女に贈り、それに気を良くしたアムピトリーテーが結婚を承諾したという説もある。
強力な海の女神であるアムピトリーテーを正妻にしたことで、ポセイドーンは大地と共に海をも司るようになったと言われる。この説はポセイドーンは古くは大地を司る神であったことに由来する。

メドゥーサは美しい長髪の女性であり、ポセイドーンが愛するほどの美貌を持っていた。ポセイドーンはメドゥーサと密通を重ねるが、あろうことか処女神アテーナーの神殿で彼女と交わってしまった。
アテーナーは怒り狂ったが、高位な大神であるポセイドーンを罰することはできず、代わりにメドゥーサを罰した。アテーナーの怒りによりメドゥーサの自慢の長髪は蛇となり、見る者を石化させてしまう恐ろしい怪物となった。
これに抗議したメドゥーサの姉たち、ステンノーとエウリュアレーも同様の姿に変えられた。後にメドゥーサはペルセウスによって首を取られ、その時に飛び散った血と共にポセイドーンとの子であるペーガソスが生まれた。
黄金の剣と共にクリューサーオールも生まれ、ペーガソスとは双子にあたる。また、メドゥーサの首はアテーナーの盾に取り付けられ、古代ギリシアでも魔除けとしてメドゥーサの首の絵が描かれるようになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/テーセウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Theseus-SW.jpg

テーセウスはアテーナイの王アイゲウスとトロイゼーンの王女アイトラーの子とされる。海神ポセイドーンとアイトラーとの間に生まれた子であるという伝説もある。

ミーノータウロスの退治[編集]

当時、アテーナイはクレータ島のミーノース王の勢力下に置かれており、アテーナイはミーノース王の命令によって毎年7人の若者と7人の乙女を怪物ミーノータウロスへの生贄として捧げるよう強要されていた。
その事を知って強い憤りを感じたテーセウスは、クレータ島に乗り込んでミーノータウロスを退治するため、父王アイゲウスの反対を押し切り、自ら進んで生贄の一人となった。
生贄を運ぶ船は、国民たちの悲しみを表す印として黒い帆が張られていた。テーセウスは他の生贄たちと共にその船に乗り込み、クレータ島へ向かった。

ミーノータウロス伝説の舞台となったクノッソス宮殿
ミーノータウロスが幽閉されているラビュリントスは、名工ダイダロスによって築かれた脱出不可能と言われる迷宮であった。しかし、ミーノース王の娘アリアドネーがテーセウスに恋をしてしまい、彼女はテーセウスを助けるため、彼に赤い麻糸の鞠と短剣をこっそり手渡した。
テーセウスはアリアドネーからもらった毬の麻糸の端を入口の扉に結び付け、糸を少しずつ伸ばしながら、他の生贄たちと共に迷宮の奥へと進んでいった。そして一行はついにミーノータウロスと遭遇した。
皆がその恐ろしい姿を見て震える中、テーセウスはひとり勇敢にミーノータウロスと対峙し、アリアドネーからもらった短剣で見事これを討ち果たした。その後、テーセウスの一行は糸を逆にたどって、無事にラビリントスの外へ脱出する事ができた。
テーセウスはアリアドネーを妻にすると約束し、ミーノース王の追手から逃れてアテーナイへ戻るために、アリアドネーと共に急いでクレータ島から出港した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Minotaur.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルセウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Rome_(4654635869).jpg
ゼウスとダナエー(アルゴス王アクリシオスの娘)の子。妻アンドロメダーとの間にペルセウス(ペルセース)、アルカイオス、ステネロス、ヘレイオス、メーストール、エーレクトリュオーン、ゴルゴポネーをもうけた[1]。
ペルセウスはゼウスの血を引く半神であり、神々から授かった魔術的な武具を駆使してメドゥーサ殺しを成し遂げ、その後も多くの困難を乗り越えた。ミュケーナイ王家の創始者となり、死後は星座になったとも言われる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ゼウス

ゼウスはイーオーという美女と密通していた。これを見抜いたヘーラーはゼウスに詰め寄るが、ゼウスはイーオーを美しい雌牛に変え、雌牛を愛でていただけであるとした。
ヘーラーは策を講じ、その雌牛をゼウスから貰うと、百眼の巨人アルゴスを見張りに付けた。この巨人は身体中に百の眼を持ち、眠る時も半分の50の眼は開いたままであったので、空間的にも時間的にも死角が存在しなかった。
ゼウスはイーオー救出の任をヘルメースに命じ、ヘルメースは草笛でアルゴスの全ての眼を眠らせると、その首を剣で切り取った。
雌牛は解放されたが、ヘーラーが虻を送り込んだために雌牛は逃げ惑った。虻から逃げるように様々な地を放浪し、最終的にはエジプトに辿り着き、ここで雌牛は元の姿に戻った。
ゼウスとの間にできていた子供であるエパポスをエジプトで出産した。イーオーはデーメーテールの像を立て、イーオーとデーメーテール像はエジプト人にイシスと呼ばれるようになった。

ユーピテル(Jupiter) - 雷光を司る主神。ゼウスに対応。
ユーノー(Juno) - ユーピテルの妻で、神々の女王。婚姻を司る女神。ヘラに対応。
ミネルウァ(Minerva) - 知恵・商業・魔術・戦いを司る女神。アテーナーに対応。
アポロー(Apollon) - 予言・音楽・太陽を司る男神。アポローンに対応。
ウェヌス(Venus) - 愛と美の女神。 アフロディーテーに対応。
マールス(Mars) - 戦争を司る軍神。アーレースに対応。
ディアーナ(Diana) - 月を司る狩の女神。アルテミスに対応。
ケレース(Ceres) - 農耕・大地を司る女神。デーメーテールに対応。
ウゥルカーヌス(Vulcanus) - 火を司る男神。ヘーパイストスに対応。
メルクリウス(Mercurius) - 商業・盗賊・通信・旅行を司る男神。ヘルメースに対応。
ネプトゥーヌス(Neptune) - 海洋を司る男神。ポセイドーンに対応。
ウェスタ(Vesta) - かまどを司る女神。ヘスティアに対応。

https://pixta.jp/tags/動物%20シマウマ%20おしり%20しっぽ

なんでこんな柄になったのか






54こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 1fa9-ETBH)2018/08/22(水) 11:13:35.35ID:FcVLCv8R0


1の概要(バレエダンサー)
ヴァーツラフ・フォミーチ・ニジンスキーは、ロシアのバレエダンサーである。ミドルネームは日本ではフォミッチと表記されたり、そもそも省略されることもある。
1890年にウクライナのキエフで生まれる。サンクトペテルブルクの舞踊学校でバレエを学んだ後、ロシア・バレエ団創立者のセルゲイ・ディアギレフに見出された。ディアギレフは同性愛者であり、ニジンスキーと肉体関係にあった。
高い跳躍力と中性的な動きで観客を魅了し、ミハイル・フォーキン振付の「薔薇の精」でその跳躍力を存分に披露したとされる。残念ながら、ニジンスキーが演じる姿を収めた映像は存在しない模様。
ニジンスキー自身も振付を行なうようになったが、初めて振付をした1912年上演の「牧神の午後」では、自慰行為にふける牧神(ギリシア神話に登場する神パーン)を題材とし、これを露骨に表現したことで物議を醸した。
しかし、結果的に同年だけで15回の上演を行い、次第に受け入れられてモダン・バレエの先駆けとなった。

翌1913年に振付した「春の祭典」では、バレエの基本である垂直ラインを無視し、内股で首を傾げる動作を取り入れた。初演では開演後に客席で意見が分かれ、上演の最中に乱闘が起こり、野次が飛び交うという大混乱を招いた。しかし、初演以降は混乱も起きずに受け入れられている。
同年の南米公演の途中、ニジンスキーのファンであったバレリーナのロモラ・デ・プルスキと結婚。嫉妬したディアギレフにガチ切れされてロシア・バレエ団を追放される。自身でバレエ団を結成するが、興行は不振に終わる。
第一次世界大戦時、ハンガリーで拘留される。1916年にディアギレフから振付師として呼び戻されるが、この頃に統合失調症を発症。
1919年のスイスでの公演を最後に、二度と舞台に復帰できなかった。また、スイス公演後から入院するまでの数週間で「ニジンスキーの手記」を残している。
その後は精神病院を転々とし、1950年に死去。亡くなる時に「薔薇の精」のポーズを取ったと言われている。
ニジンスキーの死後、ロモラ夫人が英ダービー(ダービーステークス)に招待され、夫の名をもつニジンスキーの二冠達成を見届けている。
あまりにも斬新な振付で上記のような混乱も招いたが、次第にモダン・バレエとして評価されるようになった。
曖昧さ回避にも記載のあるように、スケート選手のプルシェンコが「ニジンスキーに捧ぐ」という演目でニジンスキーの振付を取り入れて演じている(2003年-2004年シーズンのFS使用曲。ロシア杯では、芸術点において旧採点方式の満点であるオール6.0点を獲得)。

ニジンスキーとは1967年生まれのアイルランドの競走馬。いわゆる英国三冠を無敗で制し、現在のところ最後の英国三冠馬になっている。
父Northem Dancer(ノーザンダンサー) 母Flming Page 母父Bull Pageという血統。父は言うまでもなく超ウルトラ大種牡馬だが、まだフレーミングページと交配された時にはまだ種牡馬入り二年目で、ニジンスキーがセリに出された時には産駒はデビューもしていなかった。
それなのにニジンスキーは破格の8万4千ドルで落札された。これは当時のカナダ二歳馬のレコードだそうである。
もちろん、ノーザンダンサーの競走馬時代の実績もあるのだが、実は母のフレーミングページからしてカナダのダービーにあたるクインズ・プレートとカナダオークスを制して年度代表馬に選ばれたほどの名牝だったのである。
おまけに、2歳時に既に170cmも体高があったという見栄えのする馬体。そこをアイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師に見初められ、チャールズ・W・エンゲルハード(アメリカの宝石王)に購買されたのだった。
「ニジンスキー」と名づけたのはエンゲルハードである。「北の踊り子」と「炎の一節」の子供に、ロシアの天才バレエダンサーの名を付けるとは見事と言う他無い。
ニジンスキーは空中で静止すると言われた跳躍力と、中性的な妖しい表現力で伝説となったダンサーだが、同時に狂気を併せ持つと言われ、若くして精神を病んで後半生を精神病院で過ごし、不遇のまま没したという悲しい人物でもある。
「生まれ変わったら馬になりたい」といったとも言われている。その名を受け継いだニジンスキー。実は彼も狂気とまでは言わないが「炎のようだ」とまで言われるほど気性の激しい馬だった。気に入らないことがあると馬房から出てこない。後ろ足で立ち上がって威嚇する。
調教でもまったく言うことを聞かず、オブライエン調教師は根気強く馴致をしなければならなかった。

しかしながら、デビューするとこれがもうモノが違う。ほとんど馬なりで5連勝。アイルランドとイギリス両国の2歳チャンピオンと評価され、既に英ダービーの大本命と目されるようになった。
3歳になり、一叩き(古馬相手だけど楽勝)して望んだ2000ギニーはこれもほとんど追われることなく抜け出して圧勝。ダービーはそれまでのレース振りから距離不安が言われたが、中団から圧倒的な脚で突き抜け史上二位のタイムで激勝。アイルランドダービーも3馬身差で勝利。
キングジョージY&クイン・エリザベスステークスでは馬なりで、直線で鞍上が相手を見ちゃう余裕があるというあきれたレースっぷりで優勝。ちなみに負かした馬は全部古馬で、必死に追い捲って二着したのは前年の英ダービー馬である。
あまりの強さにこの時点で早々に種牡馬入りシンジゲートが組まれたのも無理からぬ話。544万ドルは当時の世界レコードだった。
次の目標は当然、凱旋門賞だった。しかし、キングジョージから凱旋門賞までには二ヶ月以上。ちょっと間が空く。どうしようかと思っていたオブライエン調教師。そこに「是非、セントレージャーに出て三冠馬になってくれ!」という要望が聞こえてきたのである。
セントレジャーの行われるドンカスター競馬場の関係者だった。当時、既に三冠路線は形骸化しており、特に2920mも走らなければならないセントレジャーは中短距離がメインになりつつあった競馬の流れから外れてしまって、有力馬がことごとく回避する有様だったのである。
実はニジンスキー以前にも二冠馬は何頭か出ていたのだが、どれもセントレジャーに出ていなかった。最後の三冠馬はバーラムという馬でなんと1935年の話だった。

ニジンスキーが出て三冠馬になれば話題になり、再びセントレジャーに陽が当たる時代が来るかもしれない。そういう目論見らしかった。オブライエン調教師は渋ったが、結局、馬主のエンゲルハードが了承してニジンスキーはセントレジャーに出走。直線抜け出してあっさり勝利。
35年ぶりの三冠馬となったのであった。
どうみても楽勝だったのだが、騎手のレスター・ピゴットは直線が長く感じたという。やはり距離がニジンスキーには長かったのだろう。ニジンスキーはレース後馬体を減らしてしまい、回復に手間取ってしまう。
そして凱旋門賞。圧倒的な一番人気に押されたニジンスキーは直線で先を行くササフラを交わしたものの、伸びが無く、鞍上のピゴット騎手が思わず鞭を入れると、大きく左によれて体勢を崩し、ササフラに頭差差し返されてしまったのである。
無敗の名馬の敗戦はいつだって衝撃的だが、ニジンスキーの敗戦はアイルランドやイギリスで大ニュースになり、大きな議論を呼んだ。
あれほど強かったニジンスキーが負けた理由はどう考えても、距離不向きであった過酷なセントレジャーの疲れだとしか思われず「セントレジャーに使うべきではなかった」という非難がオブライエン調教師の元に舞い込む騒ぎになった。
この騒動のおかげでセントレジャーは「凱旋門賞を目指す馬なら出てはいけない」レースに成り下がってしまったのだった。逆効果にも程がある。
もっとも、凱旋門賞の後に出走したチャンピオンステークスでも二着に敗れているように、競走馬のピークを過ぎていたのだという説もあるので、一概にセントレジャーを悪者にするのもどうかと思う。
そもそも、ニジンスキーは3歳時、4月から10月のチャンピオンステークスまで8戦も走っている。欧州の山坂ある競馬場で、厳しい2400m以上ののG1レースを5回も走っているのだ。そりゃ疲れるだろう。凱旋門賞ではなんか大汗かいて泡吹いているのが動画で確認出来る。
ニジンスキーはこれで引退。13戦11勝二着2回の連対率100%を達成している。動画で見た感じ、3歳前半の強さは桁違いであり、特にキングジョージの遊んでいるようなレースは一見の価値がある。

ニジンスキーはこれで引退。13戦11勝二着2回の連対率100%を達成している。動画で見た感じ、3歳前半の強さは桁違いであり、特にキングジョージの遊んでいるようなレースは一見の価値がある。
引退後、アメリカで予定通りに種牡馬入りしたニジンスキーは、期待通り。いやいや、544万ドルでもちょっと安かったか?というような大活躍をみせる。なにしろ、G1レベルのレースを勝った馬を書き出すだけでも大変というレベルである。
意外な事に英国リーディングサイアーは一回しか獲っていないが、種牡馬入りした産駒も数知れず、一代で「ニジンスキー系」と呼ぶに相応しい一大勢力を築き上げるのである。
日本で特に有名な産駒はマルゼンスキーとラムタラだろう。
持ち込み馬として日本で走ったマルゼンスキーは桁違いのスピードで圧勝を続け「スーパーカーだ!」と日本中を驚嘆させた。種牡馬としても大活躍し、おかげでその後日本に大量にニジンスキー産駒が種牡馬として輸入される事となった。
ちなみに、マルゼンスキーはニジンスキーに体型や雰囲気がそっくりである。
ラムタラはニジンスキーの死後活躍。英ダービー、キングジョージを制し、ニジンスキー産駒がそれまでどうしても獲れなかった凱旋門賞も制して父の無念を晴らしたのだった。ニジンスキー最後の傑作というに相応しい名馬である。後に日本に輸入され(ry
なお、種牡馬入りしたときにアメリカに同名の種牡馬(1958年 トムフール産駒)がいたため、区別のために馬名の後に「II」を付けられた。
そのため、厳密にいえば「ニジンスキーII系」と呼ぶのが正確ではあるのだが、1958年産のニジンスキーはおそらくさほど活躍しなかったため、単に「ニジンスキー系」とされている。
1992年、25歳で死亡。超一流の競争成績と種牡馬成績を併せ持つ世紀の名馬であった。サラブレッドの歴史が続く限り、その名は血の中に残り続けて消えることは無いであろう。





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70こんな名無しでは、どうしようもないよ。2018/10/09(火) 21:52:41.90ID:B3IwW88A
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https://ja.wikipedia.org/wiki/地球平面説#古代日本


75こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ c38f-XWbl)2018/11/25(日) 08:35:53.53ID:Nlrx2u2i0
☆ 日本人の、婚姻数と出生数を増やしましょう。☆
http://r2.upup.be/ng8xC0A33a

https://ja.wikipedia.org/wiki/パトロクロス




77万年後 〜ミザールとアリオト〜

https://4travel.jp/travelogue/11046257
善福寺横穴墓(横穴古墳)群




85世阿弥 (ワッチョイ 013f-r8J+)2019/04/09(火) 02:18:22.05ID:Izwi55990


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